寺院墓地 宗旨・宗派不問 京都府京都市
黄梅院(大徳寺塔頭)
名称 | 黄梅院(大徳寺塔頭) |
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住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1 |
墓地形態 | 寺院墓地 |
宗教・宗派 |
宗旨・宗派不問 |
臨済宗大徳寺派大本山塔頭のひとつとして知られる黄梅院。
その名称は中国禅宗の五祖・弘忍大満のゆかりの地、中国黄梅県破頭山東禅寺に由来しています。
貴重な文化財も数多く所蔵されていることでも知られており、秀吉の希望により晩年の千利休が作庭したと伝えられる「直中庭」や枯山水庭「破頭庭」、利休の師である武野紹鴎の茶室「昨夢軒」など、桃山文化を今に伝える遺構が残されています。
設立は室町時代。永禄5年(1562年)に織田信長は羽柴秀吉を伴い入洛、秀吉を京都所司代とし、父・信秀の追善菩提のために小庵を建てるよう命じます。
この小庵は大徳寺98世住持・春林宗俶を開祖に迎え「黄梅庵」とされ、これが黄梅院の始まりとされています。
それから約20年後の天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変によって信長が急逝したのち、秀吉は黄梅庵を改築しますが、主君の塔所としては小さすぎるという理由より、大徳寺山内に別院を建立。
信長の法名・総見院殿から名称を取り、「総見院」とし、信長は総見院へ祀られることになります。
のちに大徳寺112世住持・玉仲宗琇の代になると、毛利元就の三男・小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備し、名称を「黄梅院」と改められます。天正16年(1588年)には隆景の援助で本堂が建立され、黄梅院はその後近世を通じて小早川氏の宗家・毛利氏の保護下におかれます。
戦国時代を生き抜いた毛利家、織田家の墓所のほか、小早川隆景、蒲生氏郷など数々の武将が眠る由緒正しき名刹です。
- 宗旨・宗派は問いません。
- 仏事は、黄梅院が執り行います。
- 毛利元就、小早川隆景、織田信秀、蒲生氏郷の墓所・霊所あり。
- 拝観は非公開(毎年春と秋に特別公開を行う)。
- 墓域も一般非公開の落ち着いた空間。
※ご見学の際は、必ず事前に0120-08-1482(通話無料)までご連絡ください。
写真でみる黄梅院(大徳寺塔頭)
特徴
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- 著名人が眠る
- 歴史上の人物や著名人が、このお墓に眠っています。
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- 休憩所あり
- お墓参りの際にひと休みできる休憩所が設けられています。
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- 駐車場あり
- 無料駐車場をご用意しております。お車で安心してお越しください。
参考価格
※完売の場合はご容赦ください。最新情報は資料請求またはお問い合わせにてご確認ください。
交通アクセス
施設名 | 黄梅院(大徳寺塔頭) (おうばいいん(だいとくじたっちゅう)) |
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住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1 |
経営主体 |
- 車をご利用の場合
- 公共交通機関をご利用の場合
- JR各線「京都」駅より京都市バス101・205・206系統「大徳寺前」下車 徒歩約5分。